STORY

EPISODE3 小説

chapter2-6



翌朝。

列車が目的地に到着した時、そこには既に警察が到着していた。

どうやらヒュド・ルーは目的地の警察にも予告状を出していたようだ。

警察はあの寝台列車で事件が起こることを知り、待機していたのだろう。だが、最後尾車両がなくなり、特等車両と二等車の後ろ半分がボロボロに焼け焦げている列車を見て、想像以上の事態だと大騒ぎになった。

何が起きたのかと慌てる警察に対応したのはマスティマだ。

政府高官である彼の説明を受けた警察はそれを信じる他なく、当初の予定とは違うが、ミシェルを医師殺人事件の犯人として逮捕した。

ジョニーの遺体は運び出され、マリーは意識のないまま病院に搬送された。事件に関与するであろう彼女にも警察は事情を聞きたがったが、彼女がいつ目覚めるのかは見当も付かない。

そして、ロー。犯人の息子であり、事件にも大きく関与していたであろう彼の身柄を、当然警察は確保しようとしたが、強力な悪魔憑きという事でいったん教会に引き渡されることになった。

マスティマに連れられ、人形のように生気のない顔で馬車にのせられるローを、アウルは複雑な気持ちで見送った。



多くの事件を乗り切った実感が今だわかず、四人はどこかぼんやりと警察が引き上げていくのを眺めている。

アウルたちが警察の聴取を受けずに済んだのは、マスティマが上手く説明してくれたおかげだ。……何故彼がそうしてくれたのかは分からないが。

「クレメンスとエレノラは、教会へ向かうんだったよな? 途中まで一緒に乗っていくか?」

マクリーチ家の用意してくれた馬車の前で、アウルは二人に尋ねた。

「いいわ、こっちも馬車が来てくれる手はずだし。……それよりも、さっきから何を見てるのよ、アウル」

エレノラはそう答えた後、アウルが持っている紙の束を指差した。それは出発した時には持っていなかったものだ。

「……ジョニーの書類だ」

「書類?」

「殆どは燃え尽きたが、いくつは読めるものがあったからな」

ばさりと広げた紙の束は所々焦げている。それはあの特等室にあった死亡診断書だった。他にも手紙、カルテまである。それを見てエレノラは驚いた。

「ちょっと、それ、勝手に持ってきちゃって良かったの? あの車両って、警察の現場検証が入るんでしょ?」

「黙ってれば分からない」

堂々と言い切るアウル。

「と言うか、これはヒュド・ルーから俺へのプレゼントだからな。俺のものだ」

「はーぁ? なにそれ?」

「俺が初めにジョニーの部屋を調べた時、死亡診断書はなかったんだ。けど、次に調べた時には置いてあった。置いたのは十中八九ヒュド・ルーだ。ヒュド・ルーは俺にこれを見せたかったんだ。で、俺はそれを受け取った。つまり俺のものだ」

「何なのその理屈……」

わけわかんないとエレノラは首を振ると、アウルの隣のエリーを見て「真似しちゃダメだからね?」と言い含めた。

エリーはこくりと頷いて……そしておずおずとアウルを見上げると「アウル、おこってる?」と尋ねた。

「怒る? 俺が? どうしてだ?」

アウルはきょとんとして聞き返す。

「なんだか、へんなかんじ」

「…………」

いつものアウルじゃないと言われて、アウルは何も言えずに視線を泳がせると……「エリーに見抜かれるようじゃ本当に半人前だな」と呟いた。図星をさされた顔だ。

「なによぉ。何かあるならさっさと言いなさい」

エレノラはアウルの脛を爪先で突っつくと、「空気悪くなるからやめてよね」と文句を言う。

そんな彼女を横目でじろりと見て、アウルは大きな溜息の後、左手を広げた。

「手袋を無くした。片方」

その手には、いつも装着している手袋がない。

「……なくしたって言うか、焦がしたんだな」

クレメンスはその理由を知っている。手袋が燃え尽きたのをその目で見ていたからだ。

「そうだ 焼失したんだ。便利で気に入ってたんだが……」

ブンブンと左手を振ってアウルは嘆く。

「アウル、かわいそう」

その彼の左手をエリーがぎゅっと握りしめた。手を握って、そしてもう片方の手でよしよしとアウルの肩を撫でる。慰められたアウルは項垂れた。

「折角事件を解決したのに……報酬はゼロどころか、大事な手袋を無くしてマイナスだ」

肩を落とす彼は、列車の中で凜然と戦っていた彼とは真逆だ。十代の青年らしくはあるが、いつも飄々としている彼が沈んでいると、クレメンスもエレノラも扱いに困ってしまう。

「やぁね、そんなことで落ち込んじゃって。手袋くらい縫ってあげるわよぉ。クレメンスが」

「私が?」

慰めようとするエレノラからの突然の指名を受け、クレメンスは驚く。

「そうよぉ。アナタなら作れるでしょ、手袋くらい」

「ただの手袋なら、まあ、縫えないこともないが」

「ですって! 良かったわね、アウル! 期待して待ってなさい!」

エレノラはアウルに向かってばちーんとウインクする。

しかしアウルは前髪の間からちらっとクレメンスを見て、期待出来ないというように首を振った。

「あれは特殊な薬剤が仕込まれた特注の手袋なんだ……いくらクレメンスでも作れない……トリスタンのオーダーだしな」

「まあ、そうだろうな」

「自分で手袋をオーダーしたら家賃の危機だ……。またバイロンに嫌味を言われる日々に逆戻りになる……」

「つまらない事に落ち込んでいないで、家賃を踏み倒さない程度に次の依頼で稼いでくればいい」

「踏み倒してるんじゃない。上手いこと言って先延ばしてるだけだ」

「……まあ、心配しなくても何とかなるんじゃないか? 君が今から向かうのはマクリーチ家だろう?」

クレメンスは、アウルの肩を小突いて「求める者には救いがあるものさ」と意味深な笑みを浮かべた。




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小さな森の中の小高い丘にあるマクリーチ屋敷は、ヴィクトリアン・ゴシック様式に丸い天井窓のある変わった建物だ。


そのマクリーチ家の門の前では、若い執事が丘の下の並木道を見下ろしてほっと胸を撫で下ろしている。

「ああ、良かった。ほら、向こうの並木道を走ってる馬車がそうだよハンナ。アウル様がもうすぐ到着されるよ。迷子にならなくて良かった」

そう言って執事……ラルフは隣のメイドに声を掛けた。だがメイドはむっつりとした顔で「あのね、ラルフ、私はあなたみたいな超人的な視力は持ってないの。ここからじゃ見えないわよ」と素っ気ない。

「だいたい、どうしてアウル様が呼ばれたのかしら。もうここには国家錬金術師の旦那様がいらっしゃるのに。甚だ疑問だわ」

冷たい態度の彼女……ハンナの言葉にはあきらかに棘があるが、それでもラルフはふふふと微笑む。

「そんなこと言って、今朝からお屋敷のキッチンを借りてスコーンを焼いていたくせに」

素直じゃないなぁと、彼女の顔を覗き込んだ。そしてクンと鼻を鳴らす。

「焼きたてスコーンの香りと、クロテッドクリーム、キイチゴのジャム、ああ、アップルジャムの香りもするね。大歓迎って感じだ」

「ちょっと!」

するとハンナは眉を吊り上げ、ほんのり頬を染めて「黙って!」とラルフを睨んだ。

「婦女子の匂いを嗅ぐなんて失礼だわ。首輪をつけられたいの?」

「わ、怖い」

ツンとそっぽを向いたハンナに、ラルフは「ごめんね?」と言いつつまだ笑っている。

そんな二人に、門の中から背の高い紳士が近付いて来た。

「楽しそうだな。息子が到着したのかな?」

その声に、ラルフとハンナはハッとして背筋を伸ばした。

「はい、もうじき到着されます。旦那様」

「そうか、楽しみだ」

紳士はコツコツと杖をついて近付いてくる。微笑みの穏やかな上品な紳士だ。だが、眼差しは鋭い。左目にはモノクル。どこかの誰かと同じ形のモノクルだ。

「私がここに居ると知ったら、彼はびっくりするかな?

楽しげな紳士はまだ遠い馬車の音に耳を澄ませる。

「驚くでしょうね」

「ハグとかするべきだろうか?」

「嫌がられますよ」

「ふふふ、そこが可愛いんだよ」

「やめてさしあげてください」

待ちきれないと両手を広げる紳士に、ラルフとハンナは静かに首を振った。


アウルとエリーを乗せた馬車が到着するまで、もう少し。

彼らが屋敷の門をくぐった瞬間から、新たな物語が始まるだろう。


屋敷の中で待ち受けているのは、幸福な花嫁と、醜い嫉妬。それと連綿と続く血の物語。

若い探偵は、その物語に絡みつく茨を解かねばならない。



運命の歯車が、また、一つ音を立てた。




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ガラガラガラガラ……と、馬車は走る。

馬車の中は静かだ。

乗っているのは若い男が二人。

マスティマは窓の縁に肘を掛けて頬杖をつき、何かを口ずさんでいる。それは聖歌、いや、賛美歌か。

神の栄光を歌いながら、彼は人差し指をタクトのように揺らしている。


我らが神よ

愛の導きよ

私はしもべ

あなたの嘆きを取り払わん


「……ああ、良い旅だ。まさか吸血鬼とは。まだあんなに強い個体が残っていたとは、思わぬ収穫でしたね」

歌の途中でマスティマは何かを思い出し、嬉しげに呟いた。

そして、向かいに座っている男に「そろそろ話をしましょうか」と声を掛ける。

だが、男は虚ろな目で俯いたままだ。

淡いブルーグレーの瞳。

それは、あの列車の中で狂い、全てを失った男。


冥界の番犬としての役目を失ったローだった。

「……話す事なんてない」

虫の羽音よりも小さな声で言い返すロー。すると、直後、下を向いたままの顎を掴まれ、有無を言わさぬ強さで前を向かされた。

「こっちを見ろ、駄犬」

「……ッ!!」

「私から目を逸らすな」

脳の奥まで凍り付くようなマスティマの声に、ローは硬直した。彼から全身を握り潰されてしまいそうな圧を感じて、呆気なく力を失ってしまう。

「な、なにを……」

ガタガタと震えながら、ローは馬車の椅子にしがみつき、身を縮込ませてゆく。鞭打たれた犬のように萎縮しきった彼に、マスティマは今度は優しく語りかけた。

「怯える必要はありませんよ、ロー。君は選ばれただけだ」

「……選ばれた?」

「そう、人には想像もできない『愛』がこの世の裏側にはあると言ったら?ねえ、楽しそうでしょう?」

「な、なに言って……」

全身を強張らせたまま、ローは息を呑む。

「君は命令が欲しいんでしょう? 絶対的な主からの、命を懸けられるような命令を」

「え……」

「それが君の幸せの筈だ」

きっぱりと言い切られて、ローは反論する事が出来なかった。

いや、マスティマの言葉は的を射ていた。

ローはマリーに服従してる時、幸福だった。迷わずに済む幸福。従うだけの幸福。確かに幸福だったのだ。だってずっと渇望していたから。自分だけを愛してくれる、全てを捧げられる絶対的な何かを。

―――だが、失ってしまった。もう彼には何もない。

それを実感し、ローの心はまた沈んだ。


マスティマは、そんなローに囁いた。

「 私ならそれを与えてあげられる」

「え……?」

ローは驚きに目を丸くする。

何を馬鹿な……と言おうとして、またローは何も言えなかった。

目の前の存在は、マリーのそれを上回る圧倒的な力を持っていることだけは感じていたからだ。

絶対に逆らってはならない高位存在。それが彼だと、ローは理解し、おずおずと頷いた。

「精々私の役に立って貰いますよ、駄犬君」

ふふふと肩を揺らし、マスティマは亀裂のような笑みを浮かべる。

「君はこちら側の世界こそが相応しい。……ようこそ、漆黒の闇へ」


そう言った後、マスティマは再び口ずさみ始める。


我らが神よ

愛の導きよ

私はいなづま


あなたの憂いを砕く槍


賛美歌を歌う彼の横顔を陽の光が照らす。

だが、光の届かない彼の足元は……どこまでも暗い。

そのコントラストが絵画のように美しい。

そんな彼の姿にローは見惚れた。

彼の胸の中で、何かが芽生えた。

「あ……」

絶望の淵に居た彼の心にじわりと広がるのは……彼が失ったはずのものだ。


「もしかして、僕に愛を返してくださるのは……あなた……?」


彼の呟きに、マスティマは微笑む。底の知れないあの笑みだ。

その笑みに、ローは撃ち抜かれた。

胸の奥で芽生えたものが、一気に花開く。

瞬間、彼の全身を巡ったのは歓喜だ。

ローは本能に突き動かされるように、マスティマの脚に縋り付いた。


「全て、あなたの仰せのままに……」

新たな愛を得て、ローは忠誠を誓う。


その先に何があるのか、なにも分からないまま。




Fin