STORY
ESSENSE 10
「シスターシスター」

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- 初音ミク
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LYRICS
囚われの運命よ 拓いて
閉ざされた世界 吹き込む欺瞞の息
悪意の手を取って
変わり者を愛すシスター
世界でたった1人のシスター
白色 燐光 煌めく少女
蝕む 暗闇
「行かないで」
祈り捧げて 神の救いは何処へ
信じて 信じて
通わせ愛を 焦がして
赤い血よ 咲き鎮め
もう天の祝福は要らない
信愛を シスター シスター
あなたは特別 存在の証明
誰もが願う理想を説いて
偽りの希望 血に宿す黒の薔薇
怒りの手を取って
滅びの道を征く少女
待って 待って
「行かないで」
信じて
愛して 愛して
2人の時を 刻んで
祈りさえ 届かない
もう天の祝福は要らない
聴かせて 聴かせて
互いの命 震わせ
救いなら 今ここに
あなたがたった1人のシスター
信じて 信じて
通わせ愛を 焦がして
赤い血が 別つとも
もう天の祝福は要らない
信愛を シスター シスター
STORY
後ろで一つに束ねた銀の髪が、木陰で揺れているのが視界に入り、エレノラは足を止めた。
見事な銀色だが、すっと伸びた長身のシルエットは、年寄りのそれではない。後ろ姿しか見えないが、まだ年若い青年のようだ。
見慣れない人ね……何を熱心に見ているのかしら? と、エレノラはその視線の先を伺うが、小さな森と、その先は彼女の暮らす小さな集落、アメデヴァ村があるのみだ。
小川の流れる橋のたもとで、男の上等な牡鹿のレザーブーツは酷く場違いに見えた。
「──さぼりかい?」
橋を渡る最中、すれ違いざま急に発せられた声に、エレノラは驚いて男の方を見た。
彼の視線は、変わらず森の方を向いたままだが、垣間見えるその横顔は酷く整っている。
不審に思って、周りを見渡したが誰も居らず、ようやくそれが自分に向けられた言葉だと解るや、エレノラは眉間に小さなしわを寄せた。
(学校でのむかつくやり取りを思い出しちゃったじゃない~~~!)
レディに挨拶もなしに、さぼりと決めつけるなんて、言語道断よ! ……と、心の中で言い返す。まあ、実際学校は、絶賛さぼり中だが、見知らぬ相手に挨拶代わりに投げかけるような言葉でもない。
エレノラは、この無礼な男を無視する事に決め、ツンと前を向いたまま小さな橋を通り過ぎる。
しかし、男はそれ以上話しかけてこなかった。
……さっきのは気のせいだったかしらと、耳を澄ましてみるが、周囲からは、鳥のさえずりと小川の流れる音しか聞こえてこない。
暫く歩いてから彼女がそっと振り向くと、既に木陰に男の姿はなかった。
■■■■■■■■■
ごうごうと風が鳴く。
幾柱かの炎が巻き上がり、空中で渦を巻いた。
熱風に、逃げ惑う人々の悲鳴が、建物の崩れる轟音に交じる。
なのに、小さな村が焼き尽くされる様を、呆然と見守る事しかできない。
足はとっくに、恐怖で凍り付いていたから。
『……ノラ…………エレノ………』
誰だろう?
切れ切れに聞こえる、悲痛な叫び。必死に私の名前を呼ぶこの声を、知っている。……そう、私の一番大事なひと。
家の壁も、這うような炎に蹂躙され、不意に目の前に真っ白な手が伸びた。
────────逃げて! エラっ!!……
どんっ! と、私を突き飛ばした、その白い手を呆然と見つめる。
ひどくゆっくり、体が後ろに倒れて行く。声は出ない。
やがてその手は、崩れ落ちた家の下敷きになって見えなくなった。
「っ……ミア姉さま!!!」
「はあ~い♡」
がばっと起き上がったエレノラの背後から、呑気な返事が聞こえた。
「あらあら、怖い夢でも見た?」
汗びっしょりで、荒い息を吐く。胸の動悸を押さえながら振り向くと、背後の女性がエレノラの顔を覗き込んだ。
長い亜麻色の髪。睫毛に彩られた瞳はエメラルド。エレノラと女性はよく似ていたが、常にほほ笑んでいるような目元は、柔和さを醸し出している。
「……ミ、ア姉さま……?」
6つ上の姉、ミアだった。大丈夫? と、汗に濡れたエレノラの前髪をなでつけるミアの指に、少し動悸が収まるのを感じた。
(夢? あれが夢だとしたら、ずいぶん生々しい夢だった。……突き飛ばされた手の感触や、物の焦げる匂いや、音)
激しい恐怖と憎しみに満ちた夢だった。しかし、湿度のある輪郭だけ残して夢の中の記憶は曖昧になっていく。
「遅いから迎えに来たのよ! 学校まで行ったら、もう帰ってしまったと聞いて、ここにいるかな~? と思って。……ふふ、大正解」
エレノラは、ゆっくり周囲を見渡した。足先に広がる泉の中に、小魚の影が見える。
吹き抜ける風が、青臭い草の匂いを運んできて顔を上げると、空の色はもう赤く染まり始めていた。
学校から村へ続く一本道を逸れ、小路をかき分けて進むと現れる小さな泉。
ここは、彼女のお気に入りの避難場所だった。
エレノラを楽しませる物は何もないが、水辺を渡る風の吹く木陰は涼しいし、何より毎日繰り返される、あの煩わしい教師のお小言を聞かずに済む。
村の問題児、エレノラの日常は静けさとは無縁だ。毎日、教師や村の人達と、何かしらの問題が起こる。
今日は、街で流行の芝居のチラシを学校に持って行った事が、揉め事の始まりだった。
芝居の筋書きは『奔放なヒロインが行方不明の恋人を探し、エジプトへ一人旅に出る』と言う物で、とても面白そうだった。
しかしエレノラは、主演女優が来ているドレスが気に入らない。首から足元までをすっぽり覆って暑苦しく、砂漠を冒険する彼女の役と全く合っていないように思った。
「な~にこれ、ダサいったらないわよね~。体のラインも全然見えないじゃない! ひらひらしたレースキャップ。くるぶしまで覆う重たいスカートでラクダになんて乗れないわよ、野暮ったいったら! 膝までの軽やかなスカートとか、いっそ、ハーフパンツの方がずっと格好いいし、役にあってるわ!」
とクラスメート達に向かって語っているのを、教師に見つかったのだ。
「エレノラさん! パ、パンツ姿で、生足を出してラクダにまたがる女性なんて言語道断です! 10歳にもなって、そんな物語に憧れるなんて!」
後は売り言葉に買い言葉だ。「今日は、立って授業を受けなさい!」とヒステリックに叫ぶ教師を後にし、さっさと学校を出たエレノラは、帰る事も出来ずにブラブラしていた所に、川辺であの変な男に出会ったのだ。
……私は、好きな物を好きだって言っただけじゃない! 何で、みんな文句を言うのよ! だいだい、大っ嫌い!
この小さな村の生活は、エレノラにとって退屈そのものだった。
もっと自由なデザインのドレスや、素敵なロマンス、旅や冒険……そう言った、ワクワクする事を欲しているだけなのに。
ふてくされて、こんな人知れない泉で寝込んでいた自分が急に恥ずかしくなって来たが、昼間の教師との会話を思い出し、目の前のミアに聞いてみる。
「……かっこいいパンツスタイルの女性冒険家って……どう思う?」
「あらあら、それってとっても素敵! 冒険なんてワクワクしちゃうもの」
ぱっと手を打って、答えるミアにエレノラの頬がぷくっと膨れる。
「……ミア姉さまだけよ、そんな風に言うの」
「エラはバルーンみたいになっても可愛いけど……」
膨れた頬をミアが両手で優しく包むと、ぽしゅっと音がしてエレノラは普通の顔に戻った。
「ほ~ら、いつもの方が可愛いから一つ教えてあげるわね。神話にも、川に流された夫を探しに、単身冒険に出かけた女神の話があるのよ?」
「ホント……!? どんなお話?」
「むかしむかし、世界には空と地に神々がいてね————」
ミアの前でだけは、エレノラは村の問題児ではなく、ただの10歳の少女に戻ってしまう。ダークグレーのワンピースとエプロンと言う質素な出で立ちでも、誰より美しい姉は、いつだってエレノラの自慢だ。
差し出された手をとって立ち上がる。スカートに付いた草を払って、やっとエレノラは家に向かって歩き出す事が出来た。
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退屈なアメデヴァ村に変化の兆しが訪れたのは、2か月程経った頃だった。
突然村を訪れた、若い男。淡いグリーンの瞳、長めのグレーの前髪。田舎ではお目にかかれないような豪華な毛皮に、薔薇の刺繡の入ったカフ付きのコート。金糸、銀糸で飾られた豪華な衣装に身を包み、常に柔和な笑みをたたえたその男は、ディオと名乗った。
街から来たと言う彼が持ち込んだのは、田舎では滅多にお目にかかれない工業製品の数々だった。機械が紡いだ糸で出来た美しい布や雑貨。
「大量に作れて、しかも廉価。今街では、工業化によって新しい仕事が続々と生まれているんですよ」と、集まった村の若者たちに、ディオは語った。
「貴族が独占していた上等な品も、庶民の物。街は今後、階級関係なく自由に暮らせるようになるでしょう!
そんな変革を広げた裏には、ゲフィネス教団の存在があるんです。私はその素晴らしい教えを皆様に伝えたくて、村々を巡っています。
それに……ご存じでしょう、あの恐ろしい黒薔薇病を。我が教団は、悪魔に堕ちた者を天の力によって救っています。死を待つ他無かった患者に治療を施し、職を失なった彼らの受け皿として、雇用を作りました。おかげで、今や市民の絶大な支持を集めているのですよ! 」
黒薔薇病の名が出た事で、集会はにわかにざわついた。この病は不治であるのが常識だったからだ。
「……そういや、最近何とかって宗教が奇跡を起こしてるって噂があったよな」
「眉唾でしょ。うちの親戚も黒薔薇病で亡くなった、あれは治せるような病気じゃないわよ」
「しかし、俺も行商に聞いた事が————」
「それに!」と、ディオはアメデヴァ村の若者のリーダー、パウワーに人差し指を向けた。
「黒薔薇病患者の話だけではありませんよ! これは未来ある若者が、ゲフィネス教の変革によって力を活かせる時代になったと言う事です。
若さ、才能、力を活かす場を自由に選べるとしたらどうでしょう?」
ディオの指にはまった、豪華な指輪にパウワーの逞しい喉が、ゴクリと音を立てた。
「そ、そんな事……できるのか?」
若者たちの刺すような視線の中、
「勿論ですとも。ゲフィネス教は黒薔薇病から人々を救い、『欲望』に自由を与えます」
そう答え、ディオは二ッとほほ笑んだ。
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ディオが初めて村を訪れてから半年程で、ゲフィネス教は、瞬く間に村に広がった。
若者は直ぐに飛びつき、大人たちは諫める側だったが、隣村の黒薔薇病患者が、ゲフィネス教を信仰したらすっかり落ち着いたと言う話が伝わってからは、村長のチャップマンですらディオの話を聞くようになった。
村にも、悪魔化した子供が血を求め、たくさんの犠牲が出たと言う記録がいくつか残っていたからだ。人ごとではない。
エレノラも、ゲフィネス教に興味津々。
しかし、いつもエレノラの希望を無碍にはしないはずの家族が、何故かディオの集会に参加する事を禁止した。
……勿論、彼女は禁止令など意に介さず、集会場に忍び込み、大人たちの話を盗み聞きしていたが。
正直ゲフィネス教団に興味はないが、漏れ聞こえて来る、都会の珍しい話や、華やかな様子にすっかり参っていたのだ。
「……でねでね~! ウワサで聞いたんだけど、今度街にゲフィネス教の大きな『教会』を作るんだって。白大理石をた~くさんつかって。おっきな彫刻も。
ねえ、何でうちの村にはそう言うの無いのかな? つまんな~い!」
「そうね~。建物も彫刻も無いわねぇ。」
「ミア姉さまも、ゲフィネス教に興味ないの? 父さまも母さまも「何を信じるかは人それぞれだよ、エレノラ」な~んて言うのよ」
「エラ、私たちの家は神話の『語り手』の家系でしょう? 大事なのは形のあるものでは無いの。困った事、悲しい事がある人に、神様の話をするのが役目なの。悩みを抱えた人は、星の数ほどある神話から、人生に大事な事を教えてもらえるわ」
「……冒険にでた女神さまの話とか?」
「そう。『冒険にでた女の子』も勇敢で魅力的だってわかったでしょ?」
「それはそうだけど~。」
不貞腐れるエレノラをギュッと抱きしめて頬ずりし、くすくすと笑っていたミアだったが、不意に窓の外を見て動きを止めた。
「姉さま?」
「……今、外に……」
「なあに? 誰かいたの?」
「たまに綺麗な人が、生垣の横からこっちを見ているような気がするのよね。見間違いかしら? ……あ!いけない、そろそろディオさんに夕食を持っていく時間」
伝道師のディオは、現在教会建立の協力者を各地で募っているそうで、アメデヴァ村にも暫く滞在するらしい。村には宿屋が無かったので、今は『語り手』のエレノラの一家の離れに寝泊まりしていた。
ジャケットポテトにゆでた豆とキノコ、黒パン数切れをトレイに乗せ、ミアが離れの扉をドアをノックすると、「はい」と言う返事が返ってくる。
机で書き物をしていたディオは顔を上げ、「ありがとうございます」と真顔にペタリとはりつけたような笑みを浮かべた。
「ミアさんご一家は『語り手』と呼ばれてるんですってね? お互いの知見を広げる為に、集会所に僕の話も聞きに来てくれると嬉しいなぁ。こっそりのぞいているエレノラさんと一緒に」
ミアはこのディオと言う人物を掴みかねている所があった。ふとした会話、ゲフィネス教の話を熱心にしている時や、村人と意気高々に話し合っている時ですら、『彼』と言う存在を見失いそうになる時があった。
一見、人当たり良く親切で、ゲフィネス教団を真摯に思っているように見える。……が、相対すると、まるで霞と会話しているように酷く心もとない。言葉にまったく実感が感じられないのだ。
食事を持っていく度に感じる違和感を払拭したくて、ミアは熱心に教会の話をしている彼に切り出してみた。
「ディオさんは、好きな食べ物はありますか? もし、お好きな料理があれば、作るので教えてください」
そう言った瞬間だった。あれだけ早口でまくし立てていたディオの口が、ぴたりと閉じる。
きょとんと見上げた目が、今初めてミアと言う存在を認識したような気がした。
暫く待ったが、ディオは首を少しかしげたままだったので、ミアはそのまま部屋を出て行った。
その後も、毎回ミアは食事を持っていく度にディオに質問した。
「好きな詩」
「アメデヴァ村の秋をどう思うか」
「昨日出したミンスパイの感想」
毎日他愛無い質問をし、時にはミア自身が感じた事を話し続けると、やがてディオはあの取り繕った笑みを浮かべなくなった。
相変わらずゲフィネス教に関しては恐ろしく饒舌なのに、ミアの質問には真顔で一点を見つめるばかりだ。
しかし、どこか戸惑うようなその素振りは、ようやくミアにディオは『ここにいる』のだと感じさせてくれた。
1日、2日、……1週間と過ぎ、ディオが別の村に移る日になった。
近頃では、村人にもゲフィネス教徒であると公言する者が増え、中には、全財産を教会の建立に捧げ、ディオについて行くと言う者まで現れはじめた。
ディオと言う存在が現れてからたった半年で、村は酷く様変わりした。
「おはようございます。次の村までは距離があるし、いい天気で良かったですね。今朝はポリッジなんですよ。お隣から新鮮な牛乳をもらって……」
「…………テト」
聞き取れず声の方を見ると、妙に緊張した面持ちのディオが、再び口を開いた。
「…………ポテト。あの、フィリングを乗せた」
「え?」
唐突な言葉に、思わずミアは聞き返した。
「以前……好きなメニューは? と、あなたが聞いたから」
声は消え入るようだったが、その目はしっかりとミアを見ている。
(……ひょっとして、最初にした質問に対する答え?)と、気づいてミアは急に嬉しくなった。
「あれは、ジャケットポテトって言うんですよ」
「……ジャケット?」
「皮つきでゆでるから、ポテトが洋服を着てるみたいにみえるでしょ」
ミアの言葉に、ディオは「成程、……僕はそんな事も知らないんですね」とぎこちなく笑った。
その時、窓から風が吹き込んできて、卓上のディオの手帳がぱさり床に落ちた。咄嗟に拾い上げたミアは目を見開く
「……これあなたが?」
そこにはペンで描かれた風景が広がっていた。この離れの窓から見た景色だろう。木々に、庭に茂るハーブ。生き生きとした小鳥。
「っと、そ、それは……!! 時間が余った時にほんの気まぐれで」
ディオの言葉が聞こえていないのか、ミアはページをめくった。そこにはジャケットポテトの乗ったトレイが描かれていて「あら」と声を上げると、慌てたディオが手帳をミアの手から取り上げた。
「見ないでくれ! これは無駄な事なんだ! 僕の役目にとって、何の役にも立たない物で……」
狼狽したディオが弁明する姿に、とうとうミアは噴き出し「貴方はエレノラを見習うべきね」と言いながら手帳を返した。
「……エレノラさんを? 何故?」
「エラは、自分が好きな物を好きだと言える勇気を持ってる。それは、自分の『心』を大事に出来るって事だわ。自慢の妹なのよ。
貴方の絵もきっと素敵だって言うわ。私と同じように」
そう言って、ミアは笑った。
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伝道師ディオの働きもあって、ゲフィネス教は小さな村々から、徐々に各地に浸透していった。じきに街には立派な教会も完成する運びで、新聞が国教になる可能性を記事にする程だ。
アメデヴァ村でも、既にゲフィネス教入信者は8割を超えている。
決定打は、チャップマン村長の入信だった。
しかし村では、古くから神話を心の支えにしてきた歴史があり、一枚岩ではない。徐々に旧神の信仰者とゲフィネス教に入信した村人との間に亀裂が入り始め、今で互いにあまり干渉しなくなっていた。
エレノラの家は、神話を人々に伝える『語り手』の役割を担っていて、いわゆる村の教会的な役割も請け負っている。人々のよりどころであり、悩みごとの相談や、家の1階にある祈りの間では、神話の朗読会なども行う。
父母と姉のミアは、語り手としての役割に誇りを持っており、ゲフィネス教に対しては静観の構えだったが、エレノラは違った。
「ねえねえ、ミア姉さま! 教会が完成したら、街で大々的なお祭りをするんですって! 私もみんなと行って良いでしょ!?」
「……エレノラ、こっちに来て座って」
お揃いの薔薇の刺繍の入った衣装ですって! とはしゃいでいたエレノラは、ミアの普段とは違う固い声に驚いた。
それでも、黙ってテーブルの向かいに腰を下ろし「なあに?」と尋ねる。
「私、エラに今回は行ってほしくないわ。父さまと母さまも同じ気持ちよ」
今まで彼女の願いを一度も頭から否定した事のなかったミアの言葉に、エレノラは驚いた。どうして!? と言うエレノラの言葉を遮って、ミアは続けた。
「まず、エレノラは、本当にゲフィネス教に入りたいの? もし、貴方がそう望むなら、私達はその考えを尊重したい。けれど、まだ貴方は幼ないわ。
成人……いえ、せめて14歳までは改宗の判断は待って欲しいの」
そう言われて、言葉に詰まる。確かにエレノラはゲフィネス教自体に興味がなかった。
ただ、皆が支持して、華やかな街に立派な教会があって、それを見たいと言う気持ちが一番大きかった。
「……でもゲフィネス教は、黒薔薇病から人々を開放するんでしょ。それにディオさんは、私はこの村に閉じこもるのは勿体ないって。ゲフィネス教の教えを、国の偉い人たちにも魅力的に伝える才能があるって言ってくれたもの」
そう、集会に若者たちが熱心に通う理由はここにあった。
生き方で夢を語ったとしても、それは大抵かなわない。村では皆、親の職を継いで、親の背中を見て、同じように生きていく。それに、疑問を抱かなかったのは、単純にそれ以外の道を知らなかったからだ。
もっときらびやかで、可能性を試す選択肢が目の前にちらつけば、若い人間は否応にもぐらつく。
「私ね……エレノラが好きな物を話す時の姿が大好きよ。いつも、キラキラしてて一生懸命で。可愛くて、抱きしめたくなっちゃう位。でも、それはあなたの本心の言葉だからだわ。エレは、ゲフィネス教に対して、そう言う気持ちを持てる?」
そう言われて、ぐっと言葉に詰まる。
「何で? 何でダメなの? お祭りに行くぐらい良いじゃない…… 私今までいろんな事ずっと我慢してたわ」
「大きくなるまで我慢して。……大人になったら、また街に行くチャンスはあるわ」
……もういい! ミア姉さまの馬鹿! と椅子から立ち上がって、エレノラは階段を降り外に駆け出した。名を呼ぶミアの声が後ろから微かに聞こえたが、何かを振り切るように夜の森まで駆け続けた。
ミアがエレノラの気持ちを汲んでくれなかった事がショックだった。初めての出来事に、涙は勝手にあふれてくる。
泣きじゃくりながら、真っ暗な森を、ただ駆ける。
一歩先も見えない、インクを垂らしたような暗闇を皆怖がるものだが、エレノラは幼い頃から、夜が怖いと思ったことは無かった。彼女にとって夜の森は、まるで夜光虫のショーを見るように、いつも青白く輝いて見える。
月や、星あかりは枝の間から道を照らしてくれたし、淡く光る生き物達は、幼心にもとても美しいと感じた。
闇を恐れぬエレノラにとって、夜の森は楽しい遊び場で、探しに来たミアにいつも怒られたものだった。
エレノラ。夜の森に一人で入っては駄目よ。約束して————
走り疲れて足を止める。激しい動悸と息を整えながら、袖口で涙をぬぐったその時だ。
「こんな時間に夜の散歩とは。酔狂な姉妹だな」
突然の声に顔を上げると切り立った岩場があり、声の主はその上にいた。
「……あんた」
雲が晴れ、岩に腰かけている男の輪郭が月光に浮かぶ。以前橋の傍で見かけた銀髪の男だ。手に豪華なブロード・クロスのコートを持ち、貴族然と言うか、エラソーな態度で見下ろしている。
変な人。……だけど、不思議と危害を加えようとする気配は感じない。エレノラがしげしげとその綺麗な顔を見つめていると、男は嫌そうに片手をあげ「子供はさっさと帰れ。夜目が効くとは言え、この時間の森は危険だ」と、追い払う仕草をした。
「毎回失礼ね! 私この森に詳しいの!熊も狼も見た事ないわ! まさか、お化けでも出るって言うの?」
「さあ、どうだろう? だが、人ならざる者の活動時間なのは確かだな」
芝居がかった調子で答えた男の目が金色に輝き、エレノラはぎくりとした。
「あなた、誰? 何でこの辺りをうろついてるの? ……それに、何で私が————」
「夜目がきくって? わかるさ。普通の人間は明かりもなしに、道なき夜の森で『無様に泣きつつ走る』なんて器用な芸当は出来ない。
ちなみに、私がここにいる理由は、君に教える義理はない」
エレノラは、男の言い草に呆れたが、同時に興味もわいた。エレノラが暗くても見えると解ったと言う事は、男の方でも暗闇でエレノラの様子が見えたと言う事だ。
「それに、あなたさっき変なこと言ったわ。酔狂な『姉妹』って」
男は意外に鋭いなと、面白そうにエレノラを見た。
「言葉通りさ。夜中、君の姉をこの森で何度か見かけた事がある」
「ミア姉さまを!? まさか。そんな事する人じゃないわ」
「レディが、人目をはばかって夜の森を訪れる理由なんて一つしかないだろう? ゲフィネス教の宣教師。彼と一緒だった。何を話していたかまでは知らないけどね」
男の言葉に、エレノラは酷く動揺した。今まで、エレノラの事でミアが知らないことは無かったし、同時にミアの事で知らない事など無いと思っていたからだ。
だが、思い返すと今夜のミアは、確かに今まで見た事のない切羽詰まった表情をしていた。何故、頑なに街に行くなと言ったんだろう? 大人になるまでは駄目って何で? その上、ディオさんと森で会ってた……?
「おや? 急に静かになったな。早く帰って、ホットミルクでも飲んで寝たらどうだ?」
「あ、あんたに何が分かるのよ!子供扱いしないで。失礼よ」
混乱して嚙みつくエレノラをしり目に、村の方角を見つめて男は言った。
「人から聞いた話を鵜呑みにして、自分の頭で物事を考えられない内は子供だ。だが、そう言う意味であの村にいる大人は少数らしい。ゲフィネス教をありがたがって受け入れたコミュニティがどうなるか、誰も想像つかないのだから。黒薔薇病から救ってくれる『天』とやらの実態を見た事も無いのに、噂だけで救世主だともてはやすとは。……は! 救いようがないな。
さて、君にとって『ゲフィネス教団』はどういう存在だろうね? 君を開放する天使か、それとも最悪の敵か」
「何の話……?」
急に話題がゲフィネス教の事になり戸惑っていると、ざあ! と大きな音がして、風が森の木々を揺らした。
「姉に忠告するがいい。あの男に近づくなと。奴は————————危険だ」
咄嗟に目を閉じたエレノラが慌てて顔を上げると、以前と同じ様に男の姿はどこにも見えなくなっていた。
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可愛い私の子
じき時は満ちる
老いさらばえた古い影共を
今こそ地上から消し去ってしまおう
あの御方が輝く為に私はあり
私の為にお前はあるのだから
ミアに対してギクシャクしたまま、暫く過ぎたある夜。チャップマン村長が、エレノラの家を訪れた。
「2階に行っていなさい」と告げられたエレノラはすぐさま引き返し、皆が向かった祈りの間の様子をそっと伺った。
子供扱いは気に入らなかったが、それどころではない。
エレノラには、村長の訪問理由は予想がついていた。なにせ一家は、少し前から難しい選択を迫られていたからだ。
つまり『ゲフィネス教に入るか、村から出ていくか』の選択を。
他の村人達は既に皆ゲフィネス教に入信し、最後に残った一家に、村長は最後通牒をつきつけに来たのだ。
扉に耳をつけると、先ほどから大声でまくし立てているのは、村長のようだ。以前は、あんな風に相手を威圧するような喋り方をする人ではなかった。
「ゲフィネス教に、村は今後頼っていくと決めた。それを示す為、教会の完成式典では村をあげて参加するのに、あんた達がいるでせいで」……と言った言葉が切れ切れに聞こえて来る。
「聞いているだろう。隣村が黒薔薇病で全滅したそうだ。悪魔になって争い合ったらしく無残なものだったらしい。今更古い語り手に何ができる。わしらはもう、ゲフィネス教に縋るしかないんだ」
黒薔薇病の恐れから目をそらしたい余り、身近な敵を作り、叩く。……よくある光景だ。
村で唯一、古い神話を信仰し続ける一家など、『敵』として、まさにうってつけだと言う事だろう。しかし、両親と姉は冷静だった。こんな時ですら、応じる声には相手への優しさがあり、エレノラは急にムカムカしてきた。
語り手の神話は、エレノラの子供の頃から常に生活の中にあった。それどころか、はるか昔から村は神話を共有し、それに救われてきたはずだ。
村長だって、奥さんを亡くした時は、散々エレノラの父に泣きついて救いを求めていたのに。
そう思ったら、もうダメだった。考える前にエレノラはドアを開けて叫んでいた。
「何で、ゲフィネス教以外ダメなのよ!? みんなずっと語り手に助けられてきたじゃない!」
「……エレノラ!」
飛び込んできたエレノラを、ミアが咄嗟に抱き込んだが、構わず腕の中から叫んだ。
「村長さん言ってたじゃない!冥界から妻を取り戻せなかった男の神話を聞いた時、男を開放したのが、風や空の美しさだって知って救われたって……!」
エレノラの言葉を聞いた村長は、声を詰まらせる。そうして暫く何かを逡巡していたが、憑き物が落ちたように項垂れた。
「ゲフィネス教は、一神教だ。『天』以外への信仰心は認められない。それは、処罰の対象になる」
「そんなの、黙ってれば……」
「無理だ。わしらはお互いを監視し合ってる。ゲフィネス教以外の教えを捨てさせることは『良き行い』だと言ったディオ様の言葉を、今の若い連中は疑う事はしないだろう」
力なくそう告げた村長の肩に、父親は右手を添えて言った。
「チャップマン、貴方もつらい立場ですね。私たちは語り手であり、生き方を変える事は出来ません。心配しないでください……元々流民の末裔。何処ででも生きていけます」
「村を出ていくと? ……それで、いいんだな?」
父親が頷くと、訪れた時とはうって変わり「すまないな」とチャップマンは静かに答え、ちらりとエレノラを見た。
「例の事を知っているのは、わしだけじゃない。一日でも早く……」
————例の事?
不審に思ったエレノラが口を開こうとした時、にわかに外が騒がしくなった。
人の叫び声が聞こえ、大勢のバタバタと走る足音や、金属のぶつかる音などがあたりに響く。
窓の外に無数の松明が揺れるのを見て「なんだ……? 何かあったのか?」と、父親が戸口に足を向けると同時に、バタンッ!と乱暴に扉が開かれた。
ぬっと大きな影が松明を持ったまま家に入り込み、エレノラ達をねめつける。若手リーダーのパウワーだ。ドアの外にも、鍬や鋤を持った若者たちが集まっているのが見えた。
「お、お前達、どうしたんだ! 語り手には、わしが責任もって話してくると言ったろう!?」という村長の声を無視し、パウワーは喚いた。
「全滅したと思った、隣町の感染者に生き残りがいたらしい。アメデヴァ村の方に向かったと報告があって今みんなで探している所だが、あんたらが匿ってるんじゃないかと思ってな」
ミアが、無言でエレノラを抱きしめた腕に力を込めたのがわかった。
「何の話だ? 私はずっとここにいたが、何も来とりゃせん。とにかく、ここはわしに預けて、いったん表に出ろ!」と叫ぶチャップマンを押しのけ、パウワーはエレノラの一家に敵意でぎらつく目を向ける。
「隠しても無駄だ。年寄り連中が話してくれたぜ? こいつら『先祖返りの家系』だって言うじゃねえか。
その事を黙ってたあんたも信用できねえ。近くディオ様が村に立ち寄られる。それまでこいつらの処遇は保留だ。この家にから出られないように、見張りを立てさせてもらう」
「パウワーお前……どういうつもりだ」
「村長。俺たちはディオ様について行く。……語り手夫婦には『先祖返り』の事を詳しく聞かせてもらおうか?」
そう言うとパウワーは、父親と母親を引き連れ出て行ってしまい、エレノラとミアを家を中に閉じ込めたまま扉に南京錠をかけ、窓を板でふさいでしまった。
エレノラは父さま! 母さま! と呼びながら、ドアを蹴り、喚き、ひとしきり暴れていたが、やがて力が抜けたように呆然とミアを見上げた。
「……ミア姉さま」
先日の初めての喧嘩以来、ミアの目をまっすぐ見たのは久しぶりだった。
「どうしよう、父さま母さま連れて行かれちゃったよ。姉さま」
「……」
「ミア姉さま、なんでみんなあんなこと言うの? お願い、教えて……『先祖返り』ってなんなの……? 」
「エレノラ、それは……」
「私、ずっと考えてたの。何で急にミア姉さまは、私の言う事を解ってくれなくなったんだろうって。ゲフィネス教が来てから……ううん、本当はずっと昔から、父さまも母さまも、ミア姉さまも、私に何か隠してるんでしょ? そう思ったら、私急に仲間外れになったみたいで、胸が詰まって、うまく話せなかった。
…………でも、ある人に言われたの。子供扱いされたくなければ、自分の頭で考えろって。……だから、考えたわ。
でも、何度考えても、同じ結論になるの。私の家族が、理由もなくそんな事をするはずないって」
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翌朝。
結局一睡もできなかったが、顔を洗い下に降りるとミアがお茶を淹れていた。
久しぶりに二人きりになって、エレノラは柄にもなくもじもじしたが、大きなマグではちみつを垂らしたハーブティーを飲んだら、少し落ち着いた。
「エラ、私達の御先祖様はね、海を渡ってこの国にやって来たの。聞いた事ある?」
唐突な話にエレノラは面食らったが、ミアが昨夜の質問に答えてくれようとしていると感じ、黙って頷いた。
「うん、でも良く知らないわ」
「こんな神話が残ってるの」とミアは話し始めた。
『昔々、小さな王国がありました。ある時隣国との戦争がはじまり、敵味方多くの血が流れました。戦争は長引き、やがて負けが囁かれ始めると、王は『血の悪魔』に体を差し出し、強大な力を得ました。力を得た王は、大勢の敵を刃で串刺しにし、勝利しました』
「ええ~? 悪魔って……」
「勿論、ただのおとぎ話よ。王様ではなく、家臣の方が悪魔と契約したってバージョンもあるぐらいだもの」
「なにそれ、いいかげ~ん」とエレノラが言うと、そうねとミアは笑った。
『結局、戦争が終わると、王の悪魔の力を恐れ、国民は彼を追放してしまいました。国を追われた王は、長い長い旅に出ました。そして、旅の果てで、美しい女性と出会います。彼女は悪魔がとりついている事を知っても王を受け入れ、二人は結ばれました』
そこまで話すとミアは口籠ったが、エレノラがじっと聞いている姿を見て、決心したように口を開いた。
「彼の子孫は細々と続き、その末裔が私達だって伝えられてるの。一つ不思議な事は、この血を継ぐ者の中からごく稀に、変わった力を持つ子供が生まれるようになったって事。
その子供は夜を克服し、血の悪魔から受け継いだ力は、必ず『14の年』までに現れるんですって」
エレノラは、スッと全身の血の気が引いていくのを感じた。
「まさか先祖返りって……?」
震える手を、ミアが握りしめてくれたが、恐ろしい予感は無くならないばかりか、確信は増していく。
「…………幼いあなたが闇を怖がらない事がわかって、私たちはこの事を秘密にしようと決めたの」
急に鮮明に、エレノラは初めて夜の森を見た時のことを思い出した。
「えほんでみた、ほうせきばこみたいにキラキラしてきれいね」
その言葉を聞いたミアはとても驚き、そして何故か悲しそうな顔をしたのだ。そして「この事は家族だけの秘密よ」とエレノラに約束をさせた。
「ゲフィネス教は、黒薔薇病の患者を『天の力で救う』と言ってるけど、実際何をしているのかわからない以上、エラが近づくのは危険だと思ったの。先祖返りと黒薔薇病が別物だとしても、もし悪魔の力が現れたら、きっと患者として収容されてしまう。
ディオさんにも、どう言う治療を行っているのか聞いてみたんだけど、詳しい事までは分からないって言われて……」
その言葉で、エレノラは森で会った銀の髪の男の言葉を思いだした。
「あ! もしかしてミア姉さまが、ディオさんと夜の森で会ってたのって!」
その話をしていたの? ……と続けようとした時、急にミアの頬が、真っ赤に染まるのが目に入った。
「…………ミア姉さま?」
初めて見る姉の顔に、エレノラは驚いて言葉を飲み込む。ミアも自分の反応に戸惑い、不思議そうに両手で頬を押さえている。
「あ、あれ? 何で私……エレノラったら見てたの? あれはただ、ディオさんが蛍のいる川を知りたいって言うから……」
と、ミアは少しうろたえたが、エレノラの顔を見て直ぐに真面目な顔に戻った。
「……ごめんなさいエレノラ。私、あの人と二人で会うべきじゃなかったわ…………あなたの事は、私が絶対守るから。父さまも母さまもエラの味方よ」と、エレノラを胸にぎゅっと抱きしめた。
二人が閉じ込められて数日経った。
エレノラもミアも、何度も脱出のタイミングをはかったが、村人の見張りが厳しく果たせないままだ。
父と母はあのまま離れに閉じ込められたようで、連絡が取れない。
出来る事もなく、ぼんやりとすると「先祖返り」と言う言葉がむくりと蘇って、エレノラを苛んだ。
(悪魔に乗っ取られてしまったら私はどうなるの?)
想像は直ぐに悪い方向に広がる。
「最後に先祖返りが出たのが、もう何十年も前だから……」とミアは言葉を濁したが、まだ何か言えない事があるのではないかと言う気がした。
元気のないエレノラを気にしてか、夕食の後「暖炉の前でデザートにしましょう」とミアが話しかけて来た。
余ったりんごにフィリングを詰め、暖炉のスキレットに並べる。やがて、バターとスパイスがりんごにまじった香りが部屋に広がり始めた。
いいにお~い! と明るい声を上げたミアに「最近これ良く作ってくれるね」とエレノラが返すと、妙な間が開いた。
「……?」
覗き込むと、少し頬を赤らめて「……そう?」と答えるミアに、エレノラはピンとくる。
そう言えばディオさんが来て、暫くしてから急にシンプルなベイク料理が増えたんだわ。
「ミア姉さま、最近急にベイク料理好きになったもんね。ジャケットポテトとか、いっぱい作るから太っちゃう~」
からかわれているとミアは気づいたらしい。
「あ、そう。なら、私だけで食べた方が良いわよね」とスキレットを奪うふりをする。
「姉さま、ズルい! 私も食べるもん」
今の状況を忘れるように、エレノラとミアは、ひとしきりはしゃいで笑いあった。
まるで、何事も起こっていない、普通の夜に思える。
(ディオさんの事だって、ほんの少し前に知ってたら、こんなに思いをしないで、ミア姉さまに「どう思ってるの? 私はあんな真面目っぽい人タイプじゃないけど~?」って軽口をたたきながら素直に聞けたのに)
今までずっと当たり前だった団らんが、今は酷く貴重な物に思えた。
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「アクマツキヲ捕獲————」
電報を受け取ったディオは混乱し、慌ててアメデヴァ村へ向かっていた。
必死に慣れない借馬を走らせながら、何故こんな馬鹿げた行動をとっているのか? と自身を否定する感情も同時に湧いてくる。
…………今更だ。あの方に命じられていたじゃないか。
語り手がいまだに生き残るアメデヴァ村から、必ず全ての古き神々への信仰を奪うように
それが、ディオに課せられた役割だった。
元々あの語り手一家は捨て駒だったのだ。
古き吸血鬼の血を引くあの末娘は、人々を恐怖させ、操る為手駒。残りの家族も、最終的にはゲフィネス教の施設に入れられる手筈だ。
隣村の黒薔薇病感染により、村人の改宗が上手く行ったので、使う必要が無かっただけに過ぎない。
『人の心と言うものは脆い。
隣人が突然恐ろしい異形に変わり襲い掛かってきたら?
その異形が、人を引き裂く力を持っていたら?
ただ怯え震える人間に、ゲフィネス教だけが手を差し伸べる事が出来る』
言われた通り、絶望を餌にゲフィネス教は力を広げ、ディオは各地で次々と古い神話を一掃してきた。
それこそが僕の役目。あの方に頂いた存在理由。
それなのに、何故こんな行動をとっているのか解らない。あのお方が、今の僕を見たらただでは済まないだろう。
なのに、どうしても僕は————————————
答えの出ないまま、ディオは馬を走らせ続けた。
うつらうつらしていたエレノラは、夜中にはっと目を覚ました。
外で何か音が聞こえた気がして、耳を澄ます。と、確かに小さく金属のこすれる様な音がしている。
(誰か来たのかしら? 村の人?)
エレノラが自室の扉をそっと開けると、ランプを持って階段の下を覗いているミアがいた。
お互い頷いて、身を寄せあって階段を降りる。……が、一階には誰も居ない。
エレノラは胸をなでおろしたが「……離れちゃ駄目よ」と差し出されたミアの腕に縋った瞬間、ガチャリと南京錠の外される音がし、ギイイと裏口の扉が開いた。
月光を背に立っていたのは、ドロドロの黒い影…………。
「キャーーー!!」「いや~~! ね、姉さまには手出しさせないんだから~!!」
「……!? しーっ、僕です!! 表の見張りが気付く! 大声をださないで!!」
怪しい風体に怯えた姉妹が抱き合って悲鳴を上げると、聞き覚えのある声がした。
「…………え?」
腕で顔の泥をぬぐうと、二人をこんな事態に陥らせた元凶、ディオが現れた。
ディオが後ろ手に戸を閉め、ミアはとっさにエレノラをかばう。
「あなたここで何を……」と制した時、呑気な声が響く。
「すみませんこんな時間に。いや、こんな格好ですみません……ですかね?」とディオは足元の泥溜まりを見つめる。
「滞在していた村で「早馬を」と借りた馬の気性が、思いの他荒くてですね。途中で水たまりに落ちちゃって……。すみませんが何か拭くものを……」
貸してくださいと小さくなって言っているディオに、ミアはようやく肩の力を抜いた。
たらいで顔を洗い、ようやく人に戻ったディオは、キッチンのテーブルに腰かけ、出された茶を一口飲んで二人に向き直った。
「僕がここにいる事を見られるわけにはいかないので、端的にお話します」
そう言って語った内容は、驚くものだった。
ディオは、前置きとしてエレノラの一家を助けるつもりだと言った。その上でゲフィネス教の教義について語り始める。
「隣村の事は聞いているでしょう? 生き残った悪魔は、ゲフィネス教の悪魔祓いがやってきて連れて行きました。彼らの魂を清める為です」
「清める? それで病気が……『悪魔』が消えるんですか?」
ミアはその可能性に希望を見出しかけたが、続けてディオが語った内容に蒼白になった。
「いいえ。一度悪魔になった人間の中には『核』が出来るのだそうです。一度核が出来てしまえば、2度と人間には戻れません。稀に理性を取り戻す人もいますが、それは個人の資質によります。
黒薔薇病はその人の持つ欲を餌に広がり、体に核が形成される頃には、人間性を失って暴れまわる事になります。そうなればもう清めの儀式を行うしかありません」
「儀式って……」恐ろしい予感を感じながらも、エレノラは聞かずにはいられなかった。
「天に迎えられるよう祈り、核を取り出す事です。核を排除すれば、人として天に還る事が出来ますから。
どちらにせよ、完全に悪魔になると、体の中で肥大し続ける核にエネルギーを奪われ、遠からず塵になってしまいます」
「核を排除しても生き残る方法はあるんですか……?」と言うミアの問いに、ディオは首を振った。
「残念ながらそれはできません。一度核が出来てしまえば、核を中心として生きるように体が変化してしまいます。心臓を取り出せば生きていけないのと一緒です」
エレノラはディオの話を聞いて、目の前が真っ暗になった。核って、人間性を失うってなに? 『血の悪魔』……そんなものが本当に私の中に……?
目を見開いて、震えるエレノラをミアが抱きしめた。
「エレノラは黒薔薇病じゃないわ! 絶対にゲフィネス教に差し出すなんてことしない!」
「解っています。でも、村人たちは酷く興奮している。このままでは魔女狩りになりかねない。……だからこうしましょう。
明日、私が村人たちにゲフィネス教の悪魔祓いを呼ぶ事を伝え、悪魔を祓えるとあなた方を皆の前で説得します。エレノラさん達は、それを受け入れたフリをして下さい。そうすればこの厳重な見張りを解くように説得できますから。
夜になったら、私が森の中に馬車を手配しておくので、一家でそれに乗って逃げるんです。なるべく遠くへ。私は追手がかからない様、時間を稼ぎます」
ミアは、腑に落ちない顔で暫くディオを見ていた。淡々と語るディオは、相変わらず無表情だ。
だが、その言葉には、確かに彼女たちに対する優しさが感じられた。
「どうして……? あなたはゲフィネス教の人間でしょう? なぜこんな無茶を」
「……正直自分でもわかりません。不合理な事をしているのは分かっていても、あなた方の話を聞いて、気付いたら馬に飛び乗っていた。
私は、役目を果す為の道具。それなのに、自分の感情で助けたいと思ってしまった。」
ディオの呟きに「なんなのよ、それ」とエレノラは怒りをあらわにする。
変えられない事は存在する。エレノラのように、自分に流れる血は選べない。ただそこに生まれたと言うだけだ。人種も、性別も変えられない。
だが、目の前のディオは違う。もしいやだと思うのなら「道具」である事をやめる事も出来る。
それなのに、途方に暮れたようにエレノラを見るディオの表情は、まるで頼りない弟のようだ。
ハア~とため息をつき、エレノラは腰を手に当ててディオに向き直った。今なら、ミアの気持ちが少しわかる。村を滅茶苦茶にした側の人間なのに、どこか憎めないのだ。きっと、エレノラにとってのミアのように、誰かに心を肯定され、許された事がないだけなのだと思った。
「わかった。あなたの言う事を信じるわ。だけど、もっとしっかりしないとミア姉さまを預ける事なんて到底無理よ」
「え、エレノラ! あなた急に何言って」
「え? ミアさんを預けるとは!? ……ってな、ななな何のことですか!?」
「後はね~、村のお祭りでダンスも踊れないような人はお義兄様って認めないわよ」
頑張ってよね、と今までの意趣返しも込め、ディオの手を取ってステップを一つ踏んでやったが、慌てたディオはその場で尻もちをついた。
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次の日、予定通り事は進んだ。
朝、村に到着した体でディオは村長に会い、集会所でエレノラの一家の為、悪魔祓いを呼んだと話した。
久々に見たアメデヴァ村は、薔薇や見慣れない紋様の垂れ幕が無数にたなびいて、まるで知らない場所のようだ。
離れに閉じ込められていた両親の元にも、既にディオは説明に訪れており、一家はゲフィネス教の悪魔祓いを受け入れる事を承諾した。
逃亡を阻止するため、家と離れ二つに分かれたままである事を条件に見張りは解かれ、それぞれ荷物をまとめながら一家は夜を待った。
じりじり過ぎる時間に耐えかね、エレノラは何度も地図を広げて今夜の手順をおさらいし、気を紛らわせる。
夜半過ぎ、蛍の川近くにとめてある馬車に向けて移動。
人目に付きやすい近隣の村々の方には進まない。ゲフィネス教団本部のある首都ではなく、少し大きなスフィリントンの街を目指す。
スフィリントンにディオは土地勘があるらしく、白馬亭と言うゲストハウスを目指す手はずになっていた。
ディオがミアを大事に思っているのは、エレノラから見ても明らかだった。悔しいけど、ミア姉さまも。
だから、集会所から家に戻される前のわずかな間、エレノラはミアの好きな花を摘み、それを二人の髪にさしてあげたのだ。
エレノラからのささやかな贈り物……こんな状況でなければ、かなうだろう望みを託して。
「信じてるわよ、ディオお義兄様」
そう、ミアも、エレノラも上手く行くと信じていたのだ。
暗くなり始め、少しうとうとしていたエレノラの瞼に、オレンジ色の光がちらつくまでは。
うなされ、飛び起きて窓の外を見ると、離れが勢いよく炎を噴き上げているのが見える。レンガ壁だが、木製の屋根はすっかり炎にのまれ、どす黒い煙を上げる光景に、エレノラは窓に張り付いた。
「父さま、母さま……!」
足が震え呆然としていると、ミアが部屋に駆け込んできた。
「エレノラ! 火事よ! 逃げないと」と、エレノラの手を取って部屋を飛び出す。家の中は、既に炎と煙が充満していた。
(短時間でこの火勢、おかしいわ。まるで油でも撒かれてから火を付けたよう……)
階段を降りていくと、既に一階はあちらこちらで火の手が上がって進むことができない。
「……祈りの間なら石造りだから、火にも少し耐えられるかもしれない、こっちよ!」
立っていた場所に天井の梁が燃え落ちてきて、悲鳴を上げながらも二人は祈りの間へ駆け込み、勢いよく扉を閉めた。
はあはあと、荒い息を落ち着かせる。熱風に巻かれて足りなかった酸素が、ようやく肺に取り込まれた。
(一体、何が起こってるの? 2階から見た時、村の方からも煙が上がっているように見えた。普通じゃないわ)
ミアは逃げ場はないかと祈りの間を見渡して、唇をかんだ。この部屋は、外に通じる扉が無い。窓幅が狭く、人が通り抜け出来る程の幅はなかった。しかも窓が板で打ちつけられたままだ。どうしよう、どうすればエレノラだけでも助けられるだろう。
焦るミアにエレノラは「ディオさんがきっと来てくれるわ。ミア姉さまを助けに」と信じるように窓の外を見ながら言った。
「…………」
ミアが何と答えていいか口ごもった時、建物の外からワアアと怒号が聞こえ始めた。
『だから閉じ込めておけばよかったんだ』
『村に火を付けたのはこの悪魔だ!』
『この中に隠れてるぞ!出てこい』
『お前たちは村を滅ぼす悪魔だ!』
外から聞こえる罵声に「火を付けたですって……!?」とミアが驚いて叫ぶ。
「私達が、火なんてつけるわけないじゃない」
周りの温度はどんどん上がり、木製の天井に火がつき始める。気丈にふるまっていたが、恐怖心が溢れてエレノラはとうとう鳴き声を上げた。
「ミア姉さま、私達騙されたの!? ディオさん助けるって言ったのに、本当は最初から……」
ミアは、エレノラを抱きしめながら、昨日の事を思い返していた。
彼女の目を見て「助ける」と言ったディオの姿を。
出会ってから、ディオは変わっていった。感情の無い瞳には、単純な物事への興味と、喜びが見て取れるようになった。
スケッチの出来るポイントを教えて欲しいと言われて、嬉しかった事。
「蛍を初めて見た」と、いつまでも見惚れていた無邪気さ。
料理を初めておいしいと感じるようになったと、はにかむ顔。
ミアの目から見たディオは、ただ初めて触れる感情を喜ぶ事の出来る、純粋さを持つ人間だった。
「————私は、ディオさんを信じるわ。きっと何かあったのよ。それより今はここを出……」
急にドン! と胸を押され、エレノラは驚いてミアを見た。
突き飛ばした、白い手がひどく印象的だった。……いつかどこかで、同じ光景を見た、と思った。
ゆっくり、体が後ろに倒れて行く。声は出ない。
「────────逃げて! エラっ!!……」
ドオオォン! と言う轟音の後、あたりに太い木が裂けるバキバキと言う不快な音が響く。
やがてミアの手は、崩れ落ちた祈りの間の石の下敷きになって見えなくなった。今までエレノラの立っていた場所は瓦礫に埋まり、炎がチラチラと吹き上がっている。
「いやあああ、ミア姉さま! ……お願い、姉さま返事して!!!」
泣きながら駆け寄り、小さな手で瓦礫を掴んで動かそうとするがびくともしない。それでも必死に燃える板切れやレンガをどかし続けていると、崩れた壁の隙間から村の男達が覗いていた。
「ざまあみろ! 崩れた下敷きになったみたいだ!」
「離れの親の方はもうダメだろう、あっちは木造だ。あの火勢じゃ助からん」
「……二人ともくたばったか?」
「いや、ミアだけのようだ。エレノラが生きているぞ!!」
(…………姉さま)
どんっと世界が反転したのを感じた。
一瞬で世界が黒く染まり、あんなに煩かった一切の音が消えた。
崩れた柱に指が食い込んで、血管が浮く。燃えるそれらを軽々と持ち上げ、村人の方に投げつけると、悲鳴を上げて離れていく。
無様。あんな奴ら、生きている資格がないわ
『メチャクチャニシテヤル』
どこかでしわがれた声が聞こえたが、それが自分の呟きだとエレノラには気付けない。
緑の瞳が徐々に赤く染まり、バキバキと肉や骨が組み変わる音が響き始めた時、エレノラの目の前がふっと暗くなった。
「血を押さえろ。お前はまだ戻れるはずだ、エレノラ」
目の前に誰か立っている。
腕を伸ばし、頭を押さえつけてくる指を外す事が出来ずに、エレノラは藻掻いた。
うるさいうるさいうるさい! 邪魔をするな!
膨大な力を感じる。これを開放したい。その欲望は酷く心地よく、邪魔する相手の目を憎しみを込めて睨みつけた。
金色が射貫く。
この金の光を、エレノラは知っていた。
遠くから、この家を見ている気配に気付いたのはいつだったろう。
時折見えたその金色は、ミアを見て、優しく、少し寂しそうにほほ笑んでいたから…………だからあの日も怖くなかったの。
「間に合わなくてすまない。せめてお前だけは生きろ。それがミアの願いだったはずだ」
「ねが、い?……姉さまの?」
「最後に身を挺してお前を助けようとした。……逃げて、人として生きていて欲しいと願ったはずだ」
その言葉を聞いたエレノラの体から力がふっと抜けた。
体を覆う黒い何かが、まるで花弁のように剥がれ落ち、熱気にあおられ舞い上がった。
それは、死者に手向けられた花の様に見えて、エレノラの両目から、涙があふれだす。
「無理よ、みんないなくなってしまったもの。姉さまもいない世界で、たった一人で生きてなんて行けない」
泣きじゃくりながらそう言うと、銀色の髪がさらりと目の前で揺れた。
「ならば、ミアの代わりに私がお前の傍にいよう」
「あんた、やっぱり変よ、すごく。……ひょっとして、血の悪魔ってあんたの事なの?」
「さあ、どうだったかな」
溢れ続ける涙を、力強い指がぬぐってくれた。
「共においでエレノラ」
差し出した腕の先に、あの銀の髪の男が立っていた。
「…………私ここであきらめるわけにはいかないの。どんなことをしても、……あいつに、真相を聞きださないといけないもの」
「ああ、私も必ず、この件の決着を見届けよう」
「最後に誓って。約束を果たすまで、私の傍を離れないって」
「承知した。私の名はクレメンス。この名にかけて、君と共にいると誓おう」
長い時が過ぎた。
ここにはかつて村があったが、焼け落ちて消失し、人々も散り散りとなり
かつての惨劇の跡は、この地にはほとんど残っていない。
ただ、古い警察ファイルに、この怪事件を目撃した村人の記録が残っている。
保管ファイル:A25069
『証言者の話によると、この惨劇の日、一人の少女がアメデヴァ村から永遠に姿を消した。
炎の上がる建物の中、見知らぬ男のマントが少女を覆ったかと思うと、次の瞬間二人の姿は消え失せていたそうだ』
彼らの遺体は発見されていない。
ファイルではただ簡素に『アメデヴァ村事件』として記録されている。