「空ちゃんねー。あんまり同級生から評判は良くないみたい」
駅前の大通りから少し離れた場所にある、モダンな雰囲気の喫茶店に入り、注文したコーヒーに口をつけると舞はそう言った。
「っていうか、空ちゃんの方が一方的に突っぱねてる感じかな? 『自分についてこないヤツは要らない!』って自分のルールを周りに押し付けてるみたい……アタシは好きだけどね、そーいう尖った子」
「そうか……」
ある程度は予想していたことだったので、ツカサは特に驚かなかった。
ツカサの脳裏には先ほどの空の怒りに満ちた発言が再生されている。
(……『友達なんてくだらない』か)
思案するツカサを舞は、楽しそうにのぞき込む。
「でもさー、ちょっと安心したっていうか」
「何がだ?」
「葛葉、ちゃんと『お兄ちゃん』してるんじゃん。あんた、イマイチ何考えてんだか分かんないし、空ちゃんのことウザいって感じてるのかなーとか思ってたけど……ちゃんと心配してるようで安心した」
「……ウザいとは思ってるさ」
(だが、気にならない訳じゃない)
そんなツカサの心境を読んだのか、舞はこう言った。
「……今日さ、空ちゃんのサッカーチームと姉妹校がうちの学園のグラウンドで練習試合するらしいよ? ……行って、自分で確かめてみたら?」
「……そうする」
ツカサは席を立ち、舞と自分の分のコーヒー代をテーブルに置くとこう言った。
「鈴乃音、すまないな」
「んー? ま、コーヒー代でチャラってことで」
「ああ」
ツカサはそのまま店を出ると、再び学園へと戻っていった。
ツカサが学園のグラウンドに着いた頃には、既にサッカーの試合は始まっていた。
空はフォワードらしく、フィールド上を縦横無尽に走りながら大声をあげてチームメイトに指示を出していた。
「ボランチ! ボール取ったら、ワタシに回して!」
ツカサはサッカーの詳しいルールや戦法は理解できていなかったが、素人目にも空の身体能力の高さを知ることが出来た。エースストライカーというのは嘘ではなかったらしい。だが……。
「ちょっと! なんでこっちにパス出さないの!? ああもう! とにかくワタシに任せておけばいいって言ったじゃん! ああ! ほら、オフサイドになった!」
(……連携がバラバラだったら、エースストライカーがいくら頑張っても無意味だな)
フィールドには空の怒声が響き渡るだけで、一向にシュートを決めることは出来ない。結局その試合は空のチームの負けという結果で終わってしまった。
試合が終わって、ミーティングも終わり、制服に着替えて、チームメイトが全員帰った後も、空は一人で校舎の壁にサッカーボールを蹴りつけてぶつくさ言っていた。
校庭には彼女以外誰の姿もない。
「……なんで、こうなるのよ。意味分かんない」
そんな空にツカサはため息交じりに近づく。
「……楽しいのか? それ」
「あ! お、お兄ちゃん!? いつの間に!?」
「……お前の試合を見てたんだよ」
「そうなんだ……イヤなとこ見られちゃったなー。あーあ、なんか上手くいかない。サッカー部の選抜に選ばれて、お兄ちゃんに会えたとき、てっきり願いは叶ったと思ってたのに」
「願い?」
「うん……このミサンガにお願いしてたの。3つ」
「随分多いんだな」
「お、乙女のヨクボーは沢山あるの! これでも絞った方なんだから! ……まず1つ! 『サッカー部のエースになること』。次に『お兄ちゃんに出会えること』、そんで最後は……『最強で最高のワタシだけのパートナーを生み出すこと』……でもなー、なんでかみんな中途半端。もー! 全然納得できない!」
「そうか……」
「でもお兄ちゃんも今日の試合を見てたなら、気づいたでしょ!? うちのサッカーチームのレベルの低さ! ほんっとどうしようもないよね! ワタシが10人いれば、あんな弱っちい姉妹校に負けたりしなかったよ!」
試合を思い出して怒りが再燃してきたのだろう、空は一際強くボールを蹴りつけた。
「あー! もう! どうしてこうなるのよ! みんながワタシのレベルに合わせてくれないのがいけないんだ! ワタシにパスを回してくれれば、100%シュートを決めて見せるのに! ……お兄ちゃんなら分かってくれるよね!?」
「ああ……よく分かったよ」
「でしょー! 流石ワタシのお兄ちゃん!」
「空、お前がやっぱり『お子様』だっていうことがよく分かった」
「えっ……?」
思いがけないツカサの言葉を聞いて、空は表情を凍り付かせた。
「空、確かにお前の能力はチームメイトよりも優れているだろう。でもサッカーは1人でプレイするもんじゃないだろう? 周りと呼吸を合わせてプレイしなきゃ、勝てるもんも勝てないさ」
「で、でも……それはみんながワタシに合わせてくれないから」
「そういうところが『お子様』だっていうんだよ……はぁ。やれやれ。それとも『天才は孤独だ』とか思ってんのか? それこそ中二病丸出しだぞ」
ツカサは大仰に溜息をつくと、そのまま空に背を向けて、校門の方に歩き出した。
そんなツカサの様子を見て、空は唇を白くなるほど噛みしめ震えていた。
(なによ! どうして誰もワタシのこと、全然分かってくれないの!? ワタシが悪いんじゃないのに!)
怒りに駆られた空はそのままツカサの頭めがけて、サッカーボール思い切り蹴り上げる。
「……お兄ちゃんの馬鹿ぁーーッ!!」
「痛ッ!?」
空の手からはミサンガが切れ、地面に落ちる。そのことからもいかに彼女が力をこめてボールを蹴ったのかが分かるだろう。
剛速球で飛ぶボールは真っ直ぐにツカサの頭に当たると、その拍子で彼のヘッドフォンが落下してしまった。
(しまった! このままじゃ……!)
「ワタシは『天才』なんだからッ! 独りでなんでも出来るんだからッ! バカな友達やチームメイトなんかいらないんだーッ!」
空の叫びが――感情がダイレクトにツカサの耳に流れ込んでくる。
その瞬間、世界は反転していた。空は温かく深みのある夕焼け色から毒々しくチープなネオン色に、グラウンドやサッカーゴールは薄っぺらいドット絵に。
そしてドット絵のサッカーゴールの上には、シルクハットをかぶった巨大な猿が姿を現していた。
「……これは空のタテマエか!?」
猿は耳障りな笑い声をあげながら、サッカーゴールからジャンプする。
そして手にしていたステッキを振りかざし、そのまま校舎の壁に打ち付けた。
「HAHAHA☆ YOU ARE 負け犬☆」
猿の一撃で、ドット絵の校舎はバラバラに砕けてしまった。
「くっ……!? なんて馬鹿力だ! こんなのまともに喰らったらただじゃすまないぞ!?」
ツカサは猿から距離を取ると、空に慌てて呼びかけた。
「空! 危ないから俺の後ろに下がっていろ!」
だが、空はその場から一歩も動かずに呆然と猿を見つめている。ツカサの位置からだと彼女の背中しか見えないが、どうやら彼女は震えているようだった。
(くそっ! 恐怖で動けないのか!?)
そう思ったツカサは、彼女を安全な場所まで運ぼうと駆け寄ったのだが……そこで不思議な声を聴いた。
「ふ、ふふ……ふふふ」
(なんだ……笑い声?)
それは空の笑い声だった。彼女はこの状況で笑っていたのだ。
「あははははーッ! 現れたな! タテマエの化け物! 『クチサケザル』! アンタはワタシが華麗にやっつけてやる!」
空は宙に手をかざし、言ノ葉使いの扇子を広げると力強く祝詞を叫んだ。
「……我は言ノ葉使い! タテマエ由来の源として命ずる。呼び声に答えよ、カッコイイ最強の私のホンネ! 姿を現せ!」
空の祝詞に呼応して、パーカーが燐光を放つ。
(これは……空のホンネが具現化する! あの間抜けな姿から『進化』するのか!?)
「来た来た来たー! この感じ! さあ、ショータイムだよ! カラス丸!」
「チョモランマ―ーッ!!」
「……チョモランマ?」
変わった掛け声とともに出現したのは、褐色の肌をして酷く痩せた和服姿の少年だった。
少年の背中には申し訳程度の羽がついているが、あれでは恐らく自重を支えられず飛べないだろう。
「お、お前……カラス丸なのか?」
「そうだよー! 改めてよろしくねー! 空! ツカサ!」
「あ、ああ……よろしく」
ツカサたちに向かって無垢な笑みを浮かべる少年の口元からは、八重歯が覗いていて愛嬌がある。
だが空は少年の姿がとにかく気に入らないようだった。
「むきーーッ! なんで! ワタシのホンネは最強でパーフェクトにカッコイイはずだったのに!? こんなチンチクリンが出てくるのよ!」
「なんだよー! ボク、こう見えても強いんだから!」
「え? そうなの?」
「モッチローン! あんなタテマエ30秒で片づけちゃう!」
「そ、そっか! 流石、ワタシのホンネだね! ……どうお兄ちゃん! ワタシ、独りだって何にも問題ないでしょう?」
「うん? そ、そうか?」
「そうなの! ……っていうわけで、そこでワタシたちの活躍、おとなしく見てて! こんなタテマエ、一発KOなんだから! ……行くよ! カラス丸!」
「いえーい! 任せておいてー!」
空はそう言うとカラス丸と共にクチサケザルに向かって走っていく。
そんな2人の様子に反応したのか、クチサケザルはフ再びステッキを振り上げた。
「HAHAHA☆ YOU ARE 冴えない☆」
ステッキの軌道は空たちの方向から大きく逸れて、グラウンドに大穴を開けた。
「『冴えない』のはそっちの攻撃でしょ! ……カラス丸!」
「うん!」
空とカラス丸は二手に分かれるとクチサケザルの背後に回り込んだ。
(良い動きだな。素早くて迷いがない)
ツカサは素直に感心して2人の戦闘を眺めていた。
(空もカラス丸も、確かにポテンシャルが高いようだ……だが)
「「あいたッ!?」」
空とカラス丸はクチサケザルの背後で正面衝突をしてしまったようだ。
「いたたた……ちょ、ちょっとカラス丸! なんでアンタがこのポイントにいるのよ!」
「それはこっちのセリフだよ! 空はこのままクチサケザルから遠ざかって、ボクのバックを守ってくれなくちゃ!」
「はあっ!? そんなのワタシのイメージじゃないし!」
言い争いを始めた2人を見て、クチサケザルは心底愉快と言った風に嘲笑うと、そのまま体育倉庫の屋根の上に上ってしまった。
「HAHAHA☆ YOU ARE 愚鈍☆」
「「うっさーい!」」
(……何やってんだアイツら)
ツカサは思わず頭を抱えた。
それからも空とカラス丸の連携がぐちゃぐちゃで、クチサケザルへまともに攻撃すら出来ていない。
(まるでさっきのサッカー試合の焼き増しみたいな光景だな)
2人の連携が上手くいかないのは、単純に空の経験不足もあるだろう。恐らくこれが空にとっての初陣のはずだ。
(だが、どちらかというと問題は空のメンタルだな)
数々のタテマエとの戦闘を経験してきたツカサは、戦士として冷静に判断をしていた。
『何でも一人で出来る』と信じている……信じようとしている空は、カラス丸が思い通りに動かないことにいら立っていて、自分たちの攻撃が外れた後の次善策を立てようとしない。
一方のカラス丸は、空が自分の能力を発揮できるだけの指示と力を与えてくれないことに困惑している。
言い方は悪いが、ホンネとは言ノ葉使いにとってタテマエを葬るための武器であり駒である。
駒の性能も把握せずに、やみくもに戦場へ突っ込ませる司令官は愚かという他ないだろう。
クチサケザルは桜の樹の上に昇ると空に向かってまたもや嘲りの言葉を浴びせた。
「HAHAHA☆ YOU ARE 身の程知らず☆」
「むきーーッ! この猿! 降りてきなさいよ!」
(あのタテマエ……クチサケザルもよく分からんタテマエだな)
時折、大地を揺るがすような一撃を放ってきてツカサ達を驚かしたかと思えば、方向はでたらめ。
空とカラス丸が、隙だらけで飛び込んでいっても攻撃しようともせず、笑いながら逃げ回っている。
そして2人の手の届かない高所に上ると、手下の一つ目子ザルと共に、HAHAHAと笑っているのだ。
(攻撃を当てる気がない? ……まるで空たちを馬鹿にして楽しむのが目的みたいだ)
ツカサがそんなことを考えていると、空とカラス丸はついに戦闘を放り出して口喧嘩を始めてしまった。
2人の様子をクチサケザルも桜の樹から降りてきて、ニヤニヤと眺めている。
「もう! ワタシの思い通りに動いてくれないカラス丸なんかいらない! アンタなんかいなくても、ワタシは1人でこの化け物を倒してやる!」
「あっ……空! 待って!」
空は無謀にもカラス丸を置いて、1人でクチサケザルに向かっていった。
すると……。
「……HAHAHA☆ YOU ARE 浅慮☆」
今までさんざん攻撃を外していたクチサケザルが、真っ直ぐ空に向かってステッキを構えた。
「きゃッ!?」
(まずいッ!)
ツカサは慌てて走ったが、とても攻撃を止められそうにもない。
(クソッ……! この距離じゃ俺は間に合わない!)
低く重い音を立てながら振り下ろされるクチサケザルのステッキが、空の華奢な身体に触れる、その瞬間……。
「――空ぁ―ーッ!!」
カラス丸が、空の身体を思い切り突き飛ばした。
「ぐはぁッ!?」
カラス丸はクチサケザルのステッキの直撃は何とか避けたものの、衝撃波にまともにふっ飛ばされてしまう。
「カ、カラス丸!? なんでアンタこんなこと!」
倒れたカラス丸を抱き起した空は、彼に悲鳴のような質問をした。
「……だって空はボクの本体で、相棒じゃん。相棒なら支え合って助けなくっちゃ」
「えっ……?」
『相棒なら支え合って助ける』それは空にとっては衝撃的な言葉だった。
呆然とする空に傍にいつの間にかクチサケザルがやってきて、懐から取り出した金色の虫眼鏡を通してじっと彼女の顔を覗き込む。一つ目の子ザルたちも手にしたレンズで空のことを覗いていた。
サルたちのレンズには、過去の空の姿が映し出されていた。
教室で頬杖をついてぼうっとする空、サッカーの試合でパスが来ないことにイラつく空、お昼休みに笑いあうクラスメイトを馬鹿にする空……。
そんな空を見て、クチサケザルは囁く。
「……YOU ARE 独りよがり」
――本当は他人の意見取り入れ方が分からないで悩んでた。
「な、何……?」
「……YOU ARE 自意識過剰」
――本当は自分を認めて欲しかっただけ。
「や、止めて……もう、止めてよ」
「……YOU ARE 意地っ張り」
――本当はお喋りの仲間に入れて欲しかった。みんなと仲良くしてみたかった。
「違う! ワタシ、そんなこと思ってない! そ、そんな弱っちいこと……」
「……YOU ARE ウソツキ」
――本当のワタシは弱い。ホンネのカラス丸やタテマエに指摘されるまでもなく、小賢しいワタシにはちゃんと分かってる。ワタシは弱くて醜い子供なんだ……だから。
「……もう止めて! 聞きたくないッ!」
「YOU ARE 独りぼっち」
――こんなワタシを認めて愛してくれる人なんて、きっといない。
「いやああああぁぁぁぁーーッ!!」
空は絶叫すると、手にしていた扇子を落とし、耳をふさいでその場にうずくまってしまった。
その身体にネオン色の闇にしみ込んでいき、ゆっくりと崩れ落ちていく。タテマエの侵食が始まったのだ。
主の崩壊を目の当たりにしたカラス丸は、空の身体に群がる一つ目子ザルを懸命に振り払いながら助けを求めた。
「だ、誰か……空を助けて! 何とかして! ……ツカサーッ!」
――心得た!
ツカサは空の落とした扇子を手に取ると、もう片方の手には自分の扇子を取り出して拡げ祝詞を唱えた。
「……そこな青き言ノ葉使いにして、タテマエの由来者よ。我の言ノ葉を聞け。己がホンネを聞け」
ツカサの声は、タテマエに捕らわれた空の心に枯れた大地にしみ込む雨のように優しく響く。
(……私のホンネ?)
「汝が弱さを認めよ。汝が愚かさを認めよ。そして汝が願いを認めよ……己のホンネを認めよ」
(私の願いは……)
それは強くなること。誰よりも強く。だがそれは他者を威圧したかったからではないし、褒められたからでもない。ただ自分の中にある力を信じたかったから……自分を認め、愛してあげたかったからだ。
(私は……まだ弱い。だから……もっと強くなりたい!)
そう願った瞬間、空はタテマエの呪縛を自分の力で断ち切っていた。
「HAHAHA!?」
空の異変に気がついたクチサケザルは彼女から離れ、再び桜の樹の上に逃げた。
ツカサが地面に倒れる空を抱き起すと、空は薄く目を開けた。
「……よう、空。ようやく目が覚めたようだな」
「ツカサ……お兄ちゃん。お兄ちゃんが助けてくれたの?」
「礼ならコイツに言うんだな。身体を張ってお前を守ってたんだから」
「……えっ?」
「空ー! 良かったよぉー! 本当に良かった!」
目を覚ました空に大粒の涙をこぼしながら抱き着くカラス丸の身体は、空よりもはるかにボロボロだった。
「カラス丸……ごめんね。ワタシのせいでこんな怪我して」
「うえっ!? 空が素直に謝った!?」
「な、なによ! ワタシだって悪いと思ったらちゃんと謝るもん! ……今回はワタシの力不足だった。ごめん」
「空……」
空はツカサを見上げると、目に涙を浮かべた。
「お兄ちゃん悔しいよ……結局ワタシ、1人じゃ何にも出来ないんだ」
「……自分の実力不足を『悔しい』って思うのは、お前に伸びしろがあるからだ。そして『1人じゃ何もできない』って気づいたのはお前が成長してるから……そうだろ?」
「お兄ちゃん……」
ツカサは空の手を引いて立たせてやると、その手に扇子を握らせる。
「……さてやるか」
「え、えっ? 何を?」
「何をじゃないだろ。あのタテマエをぶっ飛ばさないと」
「で、でも……今のワタシとカラス丸じゃ、アイツにはかなわないよ」
「それはあくまで『今の』お前たちだろ?」
「え?」
「空……お前は『天才』で、カラス丸は天才言ノ葉使いのホンネなんだろう? ……なら、あんな薄っぺらで人の陰口を叩くしか能のないタテマエなんか倒せないはずないじゃないか」
ツカサは片口を上げて笑う。
「イメージしろ! 最強の自分を。何人にも揺るがされない絶対的な存在を。自分の力を信じるんだ。素直に、ありのままに自分のホンネをさらけ出せ! そうすれば、お前のホンネはイメージ通りになるはずだ」
「で、でも! もし失敗したら……」
「なーに、1度や2度の失敗は恥じゃない。むしろ経験だ。反省して次に生かせばいい。安心しろ。何回失敗しても俺が傍についててやる……だから信じろ。自分自身を。俺の言ノ葉を……俺はお前の『お兄ちゃん』なんだろう?」
「う、うん! 分かった! ワタシ、やってみる!」
空はようやくいつもの笑みを取り戻すと、カラス丸に向かって扇子を構えた。
空の手を優しく包むようにして、ツカサは手を重ねる。
「お兄ちゃん一緒に……」
「ああ、一緒に行くぞ!」
「「我は言ノ葉使い。葛葉 空のホンネに命ずる……今こそ真の姿を現せ」」
空とツカサは一息ついた後、最強のホンネが姿を現すと自信と確信を持って叫んだ。
「「……おいでませよ、本音の言ノ葉ッ!!」」
――瞬間、カラス丸の身体が暴風に包まれる。雷を伴い回転を続けて吹き荒れる風は、ハリケーンのようでネオンよりもはるかに明るく激しく、『本物』の輝きを見せつけていた。
「きゃッ!?」
「空ッ!」
ツカサは咄嗟に空を自分の背後に匿うと、嵐に対峙した。
やがて風が収まると、そこにはすらりとした長身の美丈夫が立っていた。
決して華美ではないが品のよくまとめた、上質で機能性に優れた和装。風にたなびく烏の濡れ羽色の外套。
ゆるく頭頂部で結んだ髪の毛は漆のように輝き、彼の艶やかな表情によくマッチしていた。
細いが引き締まった身体には無駄な肉が一つもついていないのが頼もしい。
何より特徴的なのが、背中から生える虹色に輝く大きな大きな翼だ。
「ア、アンタ……もしかして? カラス丸?」
「いかにも!」
美丈夫は翼を羽ばたかせながら名乗り上げた。
「我が名は、熊野烏丸! 自在に飛翔する、天空の八咫烏よ。我が主葛葉 空と、葛葉 ツカサの願いを聞き入れ、時空を超えて推参した次第である!」
「時空を超えて……じゃあ、お前は未来のカラス丸なのか?」
「左様。だが大したズレはない。たかだか10年程度先の未来よ」
「10年って……結構先な気がするけど……いい加減っていうか、自由なヤツ」
「うむ。現在過去未来、我の飛翔は自由自在よ。何せ我は『天才』だからな! 呵呵呵ッ!」
熊野烏丸はひとしきり笑うと、樹の上で相変わらずニヤニヤと笑うクチサケザルに向き合う。
「さてと……そろそろこの下らん茶番劇に幕を下ろすとするか。覚悟せよ。我がタテマエ、我が仇敵クチサケザルよ。いまや我には何の不足もない。舞台も武器も……これこの通り」
熊野烏丸が手を広げると、その中に黄金色に輝く鋭い長槍が現れる。槍の根元は3つに分かれており八咫烏を名乗る彼が持つのに相応しい優美で荒々しいデザインだった。
「ククク……我の力を持ってすれば決着まで27秒と言ったところか? ……如何かな? 主よ?」
「い、如何かな? って?」
「あの哀れで醜いタテマエを、我は貫き、引き裂き、見る影もなく跡形もなく滅ぼすが……構わぬか?」
熊野烏丸の口振りは尊大で、語る内容は甚だ誇張しているように聞こえる。
だが、彼の落ち着いたたたずまいと、全身から溢れ出る自信が、決して薄っぺらな空威張りではないということを現していた。
「……うん! やっちゃえ! 熊野烏丸!」
「委細承知ッ!」
空の命を受けた熊野烏丸は、虹色の翼を大きく広げて樹上のクチサケザルに向かって飛んで行く。
対するクチサケザルは、慌てて中空に高く飛び上がり逃げの姿勢を取った。
「HAHAHA!?」
だが……。
「呵呵呵呵ーッ!! その程度の飛翔で我から逃げおうせたつもりか!? 片腹痛い! 天空の王者、八咫烏の飛翔を見るがいい!」
熊野烏丸はクチサケザルよりも遥か彼方に飛翔し、ネオン色に輝く偽りの月を背負って長槍を構えた。
一度空中に跳ねてしまったクチサケザルは、それ以上身動きを取ることも出来ず、苦し紛れに最後の戯言を口にする。
「HAHAHA☆ YOU ARE 凡俗☆」
「我が槍が『凡俗』か否か? その身でとくと味わえッ!」
熊野烏丸は、クチサケザルに向かって急降下する。
「――疾ッ!」
熊野烏丸は虹色の閃光となって、クチサケザルを真っ二つに切り裂いた。
「HA……HA……AAAAーーッ!!」
それだけになく手下の一つ目子ザルも瞬く間に槍で葬っていく。
「AA……AA……」
真っ二つになったクチサケザルの身体は、ドットの塊になり下がり、やがて崩れて風の中に散っていった。
「ふむ……大凡イメトレ通りであったが、予想よりも7秒も早くに決着がついてしまったわ。いやはや我は我の技量が恐ろしい!」
地上に戻ってきた熊野烏丸は、呵呵と笑いながら主の前に立った。
「熊野烏丸。アンタ、本当に強いんだね」
「うむ。なんせ我は天才言ノ葉使い、葛葉 空が生み出した最強ホンネであるからな」
「ワタシが……天才?」
「然り。だがいかに尊い宝石であっても、原石を磨かねば光らず、路傍の石と変わらぬもの……精進せよ。我が主」
「うん!」
熊野烏丸は、空の頭を優しく撫でながらツカサと向き合った。
「今回は大儀であったな。葛葉 ツカサよ。いかに才覚ある身と言っても、今の我が主の祝詞だけでは我には届かなかったであろう。其方の心尽くしの祝詞があってこその結果であった。褒めて遣わす」
「……そいつはどーも」
そんなやり取りをしていると、ネオン色も空が砕けて崩れていく。
偽物の月が崩れると、そこには本物の月が姿を現した。タテマエによって創られた異界が解除されたのだ。
夜のグラウンドはシンと静まり返り、ツカサ以外の気配はない。クチサケザルにふっ飛ばされたはずのフェンスや校舎の壁も、何事もなかったかのように元通りになっていた。
「ふむ。これは見事な望月よ……もっと間近で楽しむとしようか」
熊野烏丸はそう言うと、月光を浴びて一層輝く翼を広げ空に舞い上がる。
「ちょッ! 熊野烏丸!?」
「お前、どこに行くんだ!」
「なーに、ちょっとした旅よ。世界を7週ほど回り、この時代の見分を広げるのも悪くはなかろうて!」
「なッ!?」
「世界を7周!?」
「心配せずとも28時間46分後には戻る。それまでさらば!」 驚くツカサと空を気にも留めない様子で熊野烏丸は優雅に飛んで行く。どこまでどこまでも。気ままに、己の気持ちに素直になって気持ちよさそうに。
「……アイツ、とことん自由なヤツね」
「ああ。でもそっちの方が……お前のホンネらしいよ。空」
「お兄ちゃん……あ、あの。その……」
空は急に居心地悪げな様子になる。
「ワ、ワタシ……その、お兄ちゃんに酷いこと言っちゃって……その……ご、ごめんなさい!」
空は顔を真っ赤にしながらツカサに頭を下げた。
ツカサは、そんな空の頭をポンポンと叩くと彼にしては穏やかで優しい笑みを浮かべる。
「……今回はよく頑張ったな。空」
「……うん!」
月明かりに照らされた空の顔には大輪ヒマワリのような笑みが浮かんでいた。
クチサケザルの事件以降、空がツカサのクラスに顔を出す機会は減った。
今ではお昼はクラスメイトと一緒に食べるし、放課後もサッカー部の練習が忙しい。
なんせ空は今では『司令塔』を任されるようになっていたのだから。
ポジションはディフェンシブミッドフィールダーに変更になり、直接的な攻撃機会は減ったものの、空は非常に満足していた。
(……この位置からだと、味方のチームも敵のチームもよく見えるもんね)
チームメイトの技量や役割を正しく把握し、的確な指示を出す。
自分自身もドリブルが得意な選手には鋭いスルーパスを。シュートが得意な選手には柔らかいループパスを出すようにと相手に合わせた工夫をした。
『他者に合わせる』ということに慣れてみれば、サッカーは1人でプレイするよりも、ずっとずっと楽しいものだった。
「……空ちゃん! 今度はどんな練習をしようか?」
「そうだなー。うちのチームってディフェンス弱いし、相手からボールを奪う練習しよう!」
「うん!」
こうやってチームメイトから頼られるのも、素直に嬉しいと思えるようになったのも、空が成長した証拠だろう。
そんな空の練習風景を少し離れた位置からツカサとカラス丸が眺めていた。
「……上手くチームに馴染めるようになったみたいだな」
「うん! ボクも嬉しい!」
そう言って無邪気に微笑むカラス丸は、童子姿に戻っていた。
「……お前、なんで子供に戻っちまったんだ?」
「ホエホエー? なんでだろー? ボクにも分かんない!」
「……まあ、いいか。今のお前の姿が空の身の丈に合ったホンネっていうことなんだろう。いわばあの時の大人のお前は、未来から力を前借したようなもんだしな。これから空はあの時のお前になるように……理想の自分を探していかなきゃいけないんだ」
そんなことを話し合っている2人に気づいた空が、大きく手を振ってくる。
「おーい! お兄ちゃーん! 今日は一緒に帰ろー! だから、練習終わるまでちょっと待っててー!」
「ああ。別にいいぞ」
「ついでにお腹が減ったから、ラーメンおごってー!」
「……なにがついでだ。意味が分からん」
「ほら、あたし美少女だし? しかも可愛い妹だからー!」
「なに言ってんだ……」
そう呆れながらも、ツカサは心の中で「今日くらいはおごってやってもいいかな」と笑みをこぼしたのだった。